アキレス腱の大怪我から復活した中日のスラッガー。2000本安打も記録した谷沢健一さんです。

谷沢健一成績
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体力練習メイン。「三冠王の技」を2年ほど行っています。

【選手データ】
年齢:22歳
特徴:メンタル強い
成長:超晩成
衰え方:少し急

体力:53A
走力:C
右巧:44A
左巧:42A
長打:40A
肩力:31A
犠打:10B
走塁:20C
リー:
選球:38S
捕球:37A
チャ:26A

一塁:40A
外野:35B


464谷沢新人
(初期値。年齢の割には物足りない)

1970~1986年の17年間で放った安打数は2062本。
1978年の大怪我のあと、復活した1980年に打率.366のハイアベレージで首位打者となっています(OPSも1.066と高い数値)。


【能力】
成長タイプが「超晩成」ということもあり、初期値は30~40の数値が目立ちます。
23歳という年齢を考えれば少し物足りない値。

特徴は「打撃センス抜群」……ではなく「メンタル強い」。

実物が通算打率.302、首位打者を2度獲得しているため、左右巧打どちらかSランクでも良さそうですが、両方ともAランク止まり。

限界値Sランクは選球眼のみですね。

肝心の長打力も初期値40と残念な数値ですが、体力練習のみでもある程度のホームラン数は期待できる程度には成長してくれる印象があります。

ただ衰え方が「急直下」という点がかなり残念。「少し急」であればまた違った印象を持ったでしょうが……。


【プレイ日記】
成績表は上の方にアップしています。

23~40歳の18年間在籍。
通算打率.283、273本塁打(実物と一緒!)、1033打点、79盗塁、2261安打、OPS.803と見栄えの良い数字を積みあげています。

成績表を見ればわかりますが、

30歳までは一度も打率3割や20本塁打を記録できず、
31歳になってようやく20本塁打を記録すると、
33歳で初めて打率3割をマークし、
35歳で打率・本塁打の初タイトル(しかもMVP)。
しまいには37歳で三冠王&MVPと、

見事なまでに遅咲き選手、といった成長曲線を描いています。


細かく見ていくと、初本塁打を記録したのは入団4年目(26歳)の3本塁打。

468谷沢26
(体力は早く伸びてくれる)

若いうちはポジションが外野しか空いていなかったので、レフトメインで起用していました。
守備バーも極端に低い値ではなかったものの、外野反応が伸びてくれなかったのか、
エラーを少々記録しています。

初めて2桁本塁打を記録したのは7年目(29歳)。11本塁打を放ったものの打率が.233と期待している成績とは程遠い結果でした。

能力が開花したのが9年目(31歳)。
前半72試合で10本塁打とイマイチだったものの、後半68試合で数字を伸ばしていき、
打率.297、25本塁打、88打点、3盗塁、OPS.893と好成績をマークしてくれました。

473谷沢31
(能力バーも見栄えが良くなった)

翌年はホームランこそ21本放ちましたが打率.255と停滞。
しかし11年目(33歳)は打率.309、27本塁打、80打点、6盗塁で初打率3割をマーク。

そして迎えた13年目(35歳)。
前半72試合で打率.338、23本塁打、56打点と高いレベルの成績を記録。
前半ほどではないものの、後半も数字を伸ばしていき、
結果的に首位打者&本塁打王の二冠に。しかもMVP

477谷沢35
(能力バーが初年度の松井秀喜ような高さ)

翌年36歳シーズンも打率.328で2年連続首位打者となり、
成長タイプ的にピークとなる37歳シーズンには打率.338、44本塁打、127打点で三冠王に。

479谷沢37
(35歳時と比べて打撃バーが高い)


衰えが始まった38歳シーズンも打率.298、24本塁打、104打点と好成績。数字の並び的にはこっちの方が好きです。

衰え方が「急直下」なため、39、40歳シーズンは成績を残すことが出来ませんでしたが、
ラストイヤーの40歳シーズンで0本塁打ながらも打率.289をマークして、オフに引退宣言。
引き止めずにそのまま引退となりました。



500年近くプレイして一度も新人で登場したことがなく、同一リーグにすら登場したことがありませんでした(必ず中日が指名)。
1年目から育成したらどうなるのか考えていたら、育成に時間はかかれど、三冠王を獲得するほどに成長してくれて満足しています。
あとは、他球団の育成だとどれぐらいの成績を残すのか気になるところです。


個人的評価は【A】です。
Sランクの一塁手だと考えると正直物足りない能力。

左右巧打のどちらかが限界値Sランクだったら、
衰え方が「少し急」だったら、

など、惜しい点が幾つかあるため A としました。